下諏訪にある「木落し坂」へサイクリングへ行ってきました。
諏訪湖を自転車で一周するスワイチのオプショナルプランとしてもお勧めです。
木落し坂とは
ここ諏訪地方では、7年ごと、寅と申の年に行われる御柱祭という熱い祭りがあります。
大木に乗った氏子が激坂を落ちていく映像をニュースなどで観たことあるかもしれません。
御柱が下る坂を「木落し坂」と呼びます。
今年は御柱祭の年にあたり、本来なら4月の「山出し」という行事で、諏訪大社下社春宮・秋宮の計8本の柱が坂を下るはずでした。
残念ながら、コロナで木落しは中止に。
5月の「里曳き」は開催が決定しています。
木落し坂までのルート
幾通りかのルートがありますが、今回通ったルートをご紹介します。
平坦な諏訪湖からずっと上り坂のため、段付きのスポーツ車がお薦めです。
国道20号線沿いにある春宮への入り口である鳥居をくぐって春宮へ向かいます。
道の中央に下馬橋が見えてきます。
春宮はその先です。
と、その前に、下馬橋の隣にある理髪店で、足湯が出来ることを初めて知りました。
諏訪大社下社春宮です。
木落しを下る8本のうち4本が、この春宮に建てられます。
残りは秋宮へ。
道沿いに進むとすぐに橋を渡り分岐が現れます。
目指すは坂上へ。
なかなかの傾斜で、自転車を降りて押し歩きます。
坂を上がらず川沿いを進むと「万治の石仏」へ。
坂の左に大きな看板「宮の湯」。
このお湯を経由していきます。
当ブログでは何度も下諏訪のお湯を紹介してきましたが、諏訪大社より上のお湯である「宮の湯」や「神の湯」はまだ行ったことがありません。
ひたすら上りですが、軽いギアで上がれる勾配です。
目の前の坂とひたすら戦わずに、ちょっと立ち止まって振り返ってみてください。
かなたに中央アルプス(写真右上)を見ることができます。
諏訪湖畔からは見られない景色です。
小休止したらヒルクライムの再開です。
今度は「神の湯」の看板が出てきます。
進む方向は同じす。
看板通りに進むとほどなくして、宮の湯のレトロな看板。
看板先を右へ。下りきった先に宮の湯はあります。
それにしても毒沢とは、なかなかパンチの効いた名前です。
坂を下った左手に宮の湯はあります。
温泉宿で日帰り入浴も可。
すぐ先の橋を渡ると国道142号線と合流します。
橋の下を流れるのは砥川です。
来るときに春宮の横を流れていた川です。
諏訪湖畔では既に散ってしまった桜も、ここでは山桜が咲いています。
ちなみに標高は820mほど。諏訪湖の標高は760mです。
橋を渡った先の小高い丘は「注連掛(しめかけ)」という場所です。
木札がいくつも建っているのが見えますね。
ぐるりと回り込んで上へあがってみましょう。
この坂を上がります。
ここは、一時的に御柱が置かれている場所。
「山出し」で山から曳いてきた柱をここで一旦置き留め、次の「里曳き」までの間、ここに保管されます。
なので、ここで御柱を見られるのはひと月ほどです。
「注連掛」の説明書き。
さて、ここから更に上り木落し坂を目指します。
上がってきた斜面を下って右へ。
この通りは中山道です。
川の対岸を国道142号線が並走します。
上がっていくとすぐに国道と合流して木落し坂の坂下に出ます。
坂下から国道を挟んで砥川の流れ。
土嚢を積んで整備されていますね。
これは木落しを見る桟敷席のために整備されているんです。
そう、整備まではされていて桟敷席の販売まで終えた後に、木落し中止の決定がでました。
ギッシリの見物客が入るはずでした。
目線を山側へ向けます。
川から国道を挟んだ山側へ。
ここが木落し坂の坂下です。
自転車を停めている辺りで、落ちるように下ってきた御柱が止まります。
坂は45度近いとのことで、人が一旦転げ落ちたら下まで止まらないくらい。
坂上に紙の付いた木札が見えますか?
カメラのズームで拡大。
ここから、あの元まで最後の上りを漕いでいきましょう。
国道を上がっていくと標識がありますので、ここを右折。
さて、ここで萩倉地区の幕が目に飛び込んできました。
「七年後にまた会いましょう」
山出しの行事は、ここから更に上の棚木場を出発点に曳航を開始し、途中にある難所の大曲を抜けて木落し坂上まで。坂を下ってから先は、来る途中で寄った注連掛まで。
この集落の狭い通りには、下社の氏子から見物客、警察や消防まで、多くの人でごった返します。
それを受け入れる、もてなす地区になります。
柱を曳く各地区の休憩所やトイレなど、この地区の努力なくては成り立ちません。
今回は人が集まることのなかったこの場所。
そんな年であっても、平日でもちらほらと木落し坂を一目見に人が訪れます。
7年後かぁ、、、御柱祭を迎えるごとに、その分だけ自分も歳をとっていくわけで。
7年の重みをヒシヒシと感じざるをえません。
目的の木落し坂上に到着しましたよ。
正面に見えるのが「追い掛け松」です。
そのすぐ右側を柱が通ります。
写真で見えている松の右にあるのは、模擬御柱です。
本番のミニチュア版ですね。
上から眺めてわかるように、眼下に坂下と国道を挟んだ対岸の桟敷席予定地が一望できます。
後ろで繋がれた状態の御柱は自然落下の状態になるまで、徐々にせり出していきます。
柱の先に2本の綱(元網)が繋がれて、氏子たちが斜面を下りながら引っ張って柱をせり出していくわけです。
落ちる角度を決めるために、左右の綱で力を微調整します。
終盤になると、先端が大分先に出ていき、下から見ている人たちは、出るたびに歓声を上げます。
後ろでおさえている追掛綱の張力がどんどん増していき、いざ準備万端になると、斧係が一気に斧を振り下ろし追掛綱が切断されます。
柱は解き放たれ、一気に滑り出します。
ここまでの気持ちの高鳴りと、木遣りと、ラッパと、大群衆の歓声とで、完全にハイな状態になるわけです。
一種独特の何とも言えない気分の高揚があります。
この祭りは何年前から?と調べてみると御柱祭のウェブサイトによると約1200年以上前からとあります。
今の地形からして、昔もほとんど変わることのない景色だったはず。
1200年前の人と同じ場所に立って、同じ景色を見下ろしているわけです。
そう思うと、現代まで引き継いできた諏訪地域の人々の努力と、過去の人たちとの繋がりを強く感じます。
先ほどから言っている木札です。これは大御幣と呼んでいます。
折角なので自転車と御柱のショットも。
いかがでしたでしょうか?
サイクリングのルート案内のつもりが、途中から御柱祭の説明に熱が入ってしまいました。
帰りは国道142号を通れば、行きとはまた違う景色を見られます。
交通量が多いので、くれぐれも走行にはご注意を!
最後に、、、
前回2016年の木落しの模様を動画で。
木落し坂ライドのレポートですが、次回は7年後。
「7年後にまた記事でお会いしましょう!」